9月の初めはものすごい暑さだったけれど、秋分の日を過ぎたらとたんに涼しくなった。肌寒い時間帯もあるくらい。
気温差の激しさに身体がついていくのが大変。
9月は、色々なことがあったな・・・
救急搬送された父は、思いのほか回復が早く、入院していた病院から施設へ戻った。
私は付き添い、一連の事務手続きもした。
病院から施設への移動は介護タクシー。中は救急車のよう。初めて乗った。
コードレスのイヤホンを持っていたので片方を父の耳にさし、スマホでお笑いを検索私の好きなサンドイッチマンのコントを聞いた。
父は、「介護度2」で少し認知症になりつつもあるけれど、自分のことはよくわかるし面白い時は笑う。
入所前はよくダジャレも言ったし大声で朗らかに笑っていたけれど、今はニッと笑い顔になるくらいで声は出さない。
それでも、サンドイッチマンは楽しかったようだ。
病院、施設の手続きは毎回とても面倒。
施設からの入退院は、外出扱いではなく事務的にはいったん「退所、新入所」の扱いとなる。
いちいち細かい説明をまた聞かなくてはならないし、書面ひとつひとつに印鑑を押し、
それぞれの支払いの方法に従わなければならず、クレジットが使えない場合は現金、
本当に時間がかかる・・・・
一連のことが済んでいったんやれやれ・・・・と思って家で過ごしていたら電話が入る。
今度は、母の住んでいるマンションから。救急車を母が呼んだとのことで救急隊員から。
詳しいことを書くと長くなるのでいったん割愛するけれど、まあ、大事ないだろうと思ったけどとりあえず家族の付き添いが必要とのことで、タクシーを拾って病院へかけつけた。
母は、疲れた顔で横になって点滴をされていたけれどそのあと、元気になり杖も無しでスタスタ歩き、自分で会計もすませようとしていた。
あんたが来なくてもよかったのに、もう帰っていいから、そんなことをつぶやいていたけれど、看護師さんに「いったんご家族に送ってもらいましょうね」と声をかけられる。
母はなかなか眠れないようで導眠剤も自分の判断で飲んだらしい。
82歳の母。
1年前はとても元気で後ろ姿が40代に見えるほどシャキッとしていたのに、父が入退院を繰り返し施設に入所してから驚くほど急に老け込んでしまった。
髪の毛を染めるのもやめて真っ白に。
そして、今母の悩みは「眠れない。食べられない。暇」
食べなくても眠らなくても人は簡単には死なないと思う。
本当にお腹がすけば食べるものはあるのだから食べると思うし
眠くなれば座っていても居眠りが出る。
いつも、いつも身体の不調ばかりに目が向いて病院めぐりばかりして、「暇だ」「暇だ」とつぶやく母。
もったいないと思う。
父が施設に入所して今は安心して一人時間を楽しめるはずなのに。
そして、今朝は同居している娘(まりも20代)が眠れないから睡眠外来に行こうと思うと言い出した。
庭に生えているローズマリーをつんで、ローズマリー白湯をすすめて、新月の直前なので頭痛がすることもあるよ、と話した。
娘は最近在宅ワークが多いけれどどうにも話の通じない上司がいるようでストレスが相当たまっている様子。
でも、ミーテイングもあるし常にパソコンやスマホを手放すことができない。
眠る直前までスマホを手にしているし、家の中で歩きながらもずっとスマホで外部とつながっている。
そんなことしていたら身体が不調になるのは誰の目が見てもあきらかなのに、母としてけむたがられても、と一応一言伝える。
睡眠外来行くならまずデジタルデトックスして(パソコン、スマホをオフにして)身体が疲れるまで散歩でもしたら。と。
でも、口出しはされたくないらしい。
まあ、もう成人したから娘は娘の人生。
そして、親子ではあっても母は母の人生。
自分の考え、自分の選択でそれはそれで良いとは思う。
でも、母も娘も
「余計な口出しはするな」というけれど
いざとなれば緊急呼び出しで私が一連のことをすることになるのになあ。
身内のことは、一番大変だと思う。
他人なら嫌なことがあれば、もう二度と合わなくて済むし縁を切ればよいのだから。
親も子も、大切だからこそ気にかかる。
そう簡単に縁を切ることはできない。
でも、自分に気づきを与える存在なのかなあ、ということを最近とても思う。
母や娘に対するいら立ちやら何やらは私が自分自身のこととして気づかなければいけないのだろうなあ、と。
そんなささいなことでいらっとなってしまう未熟な自分。
言われたくない、というのがわかっていながらおせっかいに何かを言ってしまう未熟な親であり未熟な娘。
母も娘もとりあえず「眠れない」が最大の悩みならたいしたことないじゃん。
もう、放っておいて私は私の好きなことをすすめていこう。
また、何かで緊急呼び出しがあった時は、またその時どうするか考えて対処しよう。
眠れなくても死なないと思う。
でもそんなにも辛いということをもう少し思いやりの気持ちをもって見つめられる私になっていこう。
・・・と思った10月初日の朝でした。